M1グランプリの審査員に選ばれて、なぜ山田邦子さんが審査員になったのだろうと思った方も多いかもしれません。
- 山田邦子さんはコンビだったのか
- デビューのきっかけ
- どんな芸風だったのか
山田邦子さんの若い頃は、お笑いだけでなく女優や歌手としても活躍していたので、芸風を中心にご紹介します。
若さと勢いのあった80年代は、山田邦子さんの人気は本当にすごかったんです。
山田邦子としてピンで活動をしていました。
素人時代には、漫才コンビを組んでいた時期もありましたが、プロデビューしてからはずっとピン芸人です。
モノマネを中心とした芸風でした。
素人のオーディション番組
「お笑い君こそスターだ!」
に出演して、チャンピオンになり大田プロダクションからデビューをしました。
しかもこのオーディションで披露したバスガイドネタのレコードデビューだったんですよ。
当時1981年なので山田邦子さんは21歳でした。
すでにこの頃からバスガイドネタを持っていたんですね。
しかも同年に女優デビューも果たしているんです。
1980年代は女優としての活動がメインだったようですが、お笑いにシフトしてからはどんどん売れっ子になっていきました。
80年代は漫才ブームで、山田邦子さんは若手ホープとしていろんな人の目に止まったんですね。
しかも素人時代から山田邦子という名前は芸能界でも名が知れ渡っていました。
中学生のころからモノマネやお笑いネタなどで学校でも名が知れ渡っていました。
そして素人が出演できる番組も当時はとても多くて、山田邦子さんは出演しまくっていた印象です。
- TVジョッキー(ものまね)
- クイズ!ドレミファドン
- タモリの突撃生放送(5周勝ち抜き優勝)
- 笑ってる場合ですよ「ブスコンテスト」
当時はとんねるずも素人時代に同じ番組に出まくっていたそうです。
今や大御所の方たちも素人時代から活動的だったんですね!
今とは違ってテレビにでないと人の目に触れることがなかったので、芸能界目指す人にとってはオーディション番組は貴重だったんでしょう。
そう思うとYou Tubeってやっぱり最強のツールだね!
1980年代の女性お笑い芸人はさほどいなかったのもあり、山田邦子さんへの注目は半端なかったのです。
数々のテレビ番組出演で山田邦子さんを見ない日はないほど。
山田邦子さんの持ちネタって一体なんでしょうか。
- バスガイドネタ「右手をご覧ください、一番高いのが中指でございます」
- ぶりっ子
- ものまね(西城秀樹、薬師丸ひろ子、欧陽菲菲、島倉千代子、松任谷由実、鈴木聖美など)
- ひょうきん絵描き歌
- やまだかつてないWink
- 番組司会
代表的なのがバスガイドネタですね。
しかもぶりっ子って言葉は山田邦子さんが発端で日本中に広まったのも驚きました。
ぶりっ子って私も言われたことある気がします(笑)
20代以下の人には馴染みはないと思いますが、本当に売れっ子芸人さんだったんです。
何が面白かったのか思い出せないのですが、まさしく山田邦子さんの全盛期です。
出演する番組の多さにもびっくりします。
- 笑ってる場合ですよ!(フジテレビ)
- オレたちひょうきん族(フジテレビ)
- もんもんドラエティ(テレビ東京)
- わっ!!ツービートだ(日本テレビ)
- ピンキーパンチ大逆転(TBS)
- パリンコ学園No.1(TBS)
- NEWスタージャック!(テレビ東京)
- びっくり世界一(テレビ東京)
- 邦ちゃんのやまだかつてないテレビ
書ききれません!
やっぱりビートたけしやダウンタウンなどと互角に対応できる女性芸人は当時ほぼいなかったのではないでしょうか。
『クイズ!年の差なんて』(同)『MOGITATE!バナナ大使』(TBS系)などの人気番組を多数抱え、バラエティーの女王として君臨した山田は、確かにこの時期、天下を取っているという表現にふさわしい状況にあった。事実、彼女は88年から95年まで、NHK『好きなタレント調査』の女性部門で8年連続1位を獲得していた。女性芸人としてこの上ない地位まで上り詰めたのだ。
引用元:サイゾーウーマン
「好きなタレント調査」で8年連続1位をとったってすごすぎませんか!
8年連続って!
そりゃ女性で唯一天下をとったと言われる所以です。
そんな山田邦子さんのネタが面白かったのか面白くなかったのかの話をすれば、面白かったから売れていたと思うのですが、面白くないと思っている人も多いようなんです。
面白いか、面白くないかでいうと、世間の声はおもしろくないという声も多々あります。
しかし山田邦子さんが若い頃のぼりつめた実績は称賛されるべきかなとも思います。
薬師丸ひろ子さんのシャンプーのCMのモノマネは似てる(笑)
と言ったら怒られるかなw
芦川よしみさんなのにヒゲつけてる意味はわかりませんがw
こちらは若い頃とは少し違いますが現在でも果敢にモノマネをされています。
twitterでは似てるの声もあったりしたので見てみましたが、本当に似ていますね(笑)
山田邦子さんが若い頃、とんでもなくスーパーウルトラ女性芸人さんだったのがわかりました。
売れていたのは間違いありません。
面白い面白くない以前に、売れる要素があったのは明るい雰囲気で察しがつきます。
でも、こんなに売れていたのに、どうしてテレビにでなくなってしまったのでしょう。
せっかくなのでそのへんも少し触れておきます。
理由をきくとちょっとかわいそうな気もしますが、売れっ子だったのでモテたのもあるんでしょうか。
写真週刊誌『FOCUS(フォーカス)』で、妻子ある男性との不倫をスクープされたことが決定打だろう。
ただでさえ不倫は許されないにも関わらず、「結婚願望が強く、もてないキャラ」の邦子の不倫はイメージと真逆ゆえに視聴者の嫌悪感を煽った。さらに、芸能レポーターに追い回されて嫌気がさしていた邦子は、芸能レポーターの井上公造にぶちギレた。「お前、もてないだろう」「バカじゃないの」などと罵倒したシーンが繰り返しワイドショーで放送され、好感度も人気も急降下した。
引用元:exite news
SNSがない時代、タレントと一般視聴者を結ぶのは、芸能記者やレポーター、ワイドショーや週刊誌などのマスコミ。言い訳も主張する場もない環境で、マスコミを敵に回したため、干されるのは当然の結果だったかもしれない。
妻子のある方との不倫がフォーカスされてしまった上に、レポーターにたいして罵倒してしてしまったのがテレビに出なくなった理由と言われています。
乳がんを患ったりということもあるようです。
また一節には、頂点に上り詰めてしまったがために、あとは飽きられることになったとも言われています。
そうなんです。
今でもお笑いの舞台を踏まれているんですよ。
浅草にある漫才協会に登録されて、浅草演芸ホールなどで漫談されていますね。
綾瀬はるかですとか言ってますねwww
もともと、大学時代に落研にはいって落語家を目指していたそうで自然な感じがします。
しかも長唄杵勝会の名取を襲名もされているんですよ。
60代になった山田邦子さんは紆余曲折を経ても活動されている姿はかっこいいです。
名取襲名ってすごすぎです!
若い頃から活躍して今に至るまでの芸歴はやっぱりすごいとしか言いようがありません。
若い頃の山田邦子さんはピン芸人でモノマネで一世風靡しました。
歌や女優としても活動していて、女性で唯一天下をとったとまで言われています。
当時、山田邦子さんの売れっ子具合は年収8億円とも言われるほどでした。
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