高校野球で一番注目度の高い監督ではないでしょうか。
何と言ってもメジャー挑戦をする佐々木朗希が所属していたチームの監督で、恩師でもあるので今後も目にすることがあるであろう方です。
令和の怪物と言われる佐々木朗希を育成してきた監督って、どんな経歴の持ち主なんでしょう。
どんな指導をしているんだろう。
佐々木朗希選手が話題になればなるほど気になるので、國保陽平監督の経歴をまとめてみました!
- 國保陽平監督の経歴
- プロ時代の成績
- なぜ高校野球の監督になったのか
- 選手の指導方法
大船渡高校の國保陽平監督の経歴プロフィールや成績とは?
プロの実力を持つ監督で、海外での経験もあるとか、かなり魅力的です。
名前 | 國保陽平(こくぼ ようへい) |
出身地 | 岩手県盛岡市 |
生年月日 | 1987年3月4日(37歳)※2024年現在 |
身長 | 182cm |
体重 | 90kg |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
出身高校 | 岩手県立盛岡第一高校 |
出身大学 | 筑波大学 体育専門学群 |
國保陽平監督は元プロ野球選手なの!
國保監督を初めて見たときの第一の感想は、「若い」でした!
最初、佐々木朗希選手と並んでる写真を見て、チームメイトかと思ったくらい若々しいので驚きました。
佐々木朗希選手が所属していた頃、32歳だったので、本当に若い監督だと思います。
筑波大学を卒業後、社会人クラブ「Tsukuba Club」に入団して、その後アリゾナサマーリーグに参加をしました。
2009年にWBCでメキシコ代表の試合を観戦し、ラテンの野球に刺激を受けた国保監督は、2010年にティフアナ・シマロンズと契約をしプロ野球選手として活躍しました。
だからってプロ選手に、はいそうですかといってなれるものではないでの、やはり実力があったのでしょう。
ティフアナ・シマロンズってどんなチーム?
アメリカ独立リーグのゴールデンベースボールリーグに所属するメキシコのチームです。
プロ時代の成績は、どうだったのでしょう。
プロ野球選手時代の成績は?
25試合出場で、254(59打数15安打)ホームラン2本、7打点
日本のプロ野球選手の打率成績を見てみると、試合数が増えれば、もっと成績を伸ばせたのではと思ってしまいました。
これから成績もぐんとのばしてプロとして野球を続けるのかと思っていた矢先、國保陽平監督は、プロ野球チームを退団してしまったのです。
実は、野球にスポーツ本来の楽しさや尊重を求め続けてきた國保陽平監督は、プロを辞めて地元に戻ってきたのです。
高校野球の監督になった理由
筑波大学で体育学を学んでいたので、帰国後に、体育教師として岩手県立花巻農業高校に教員として就任しました。
そして野球部の監督になるのです。
子どもたちに野球を嫌いになってほしくないという信念があり、伝えようとしていた事が、プロを辞めて地元へ戻ってきた理由なのでしょう。
せっかくプロになれたのに残念!
子どもたちに野球の楽しさを伝えたいんだよね
その後、岩手県立大船渡高校に異動となり野球部監督になります。(※現在は岩手県立盛岡第一高等学校野球部副部長)
大船渡高校といえば、「令和の怪物」佐々木朗希選手ですね。
佐々木投手の指導をしていたと言うわけです。
佐々木朗希選手に対して國保監督は、次のようにマスコミでお話されています。
日本を代表して、世界のどの国に出ても一生懸命やっていけるように。
野球がすべてではないですけれど、その後の人生につながるようにやっていけたら良い。
引用元:日刊スポーツ
海外でのプロ野球を、期間は少ないといえど経験した人の言葉はワールドワイドです。
佐々木朗希選手なんて、本当に伸びしろしかなかったですよね。
こんな監督に指導してもらえてすごくラッキーだと私は思いました。
では、そんな熱い國保陽平監督の指導方法は、どんなスタイルだったのでしょうか。
指導方法はどんなスタイル?
國保陽平監督のスタイルは、選手全員に優しい。
野手問わず数多くの選手を、マウンドに上げるというスタイルを、一貫して行ってきています。
投手だけでなく、野手もって普通は考えないことだと思うんですよね。
2018年に佐々木朗希選手が、成長時に起こる成長痛を抱えていたときには、負荷をかけないように連投をさせないなどの配慮をしています。
その分、野手もマウンドに上がるんです。
選手を尊重しているように私には感じられます。
怪我をすることなく、選手は成長していける環境を作っているのですね。
私が大学や専門家の方々に教えていただいたことを選手に伝え、選手たちが取捨選択して納得の上で決断するようにやっているつもり。
國保監督は、選手一人一人の自主性なども重視して、指導方法を徹底しています。
この指導に対して、佐々木朗希選手も次のように話していました。
國保監督は選手のプレーや考えを尊重してくれる。
だから積極的にプレーできるんです。
選手のやる気も増大するわけです。
野球に、野球をがんばる選手に対しての愛がありますよね。
数多くの選手をマウンドにあげるぞ!
選手の考えやプレーを尊重してくれるんだ
このスタイルが物議を醸した高校野球の試合を覚えていますか?
2019年の第101回全国高校野球選手権での事です。
佐々木朗希を登板させなかった
大船渡のエースで「163キロ右腕」の佐々木朗希投手が準決勝で完封勝利を収め、中学時代からの仲間と一緒に夢見ていた甲子園出場へ、いよいよあと1勝までこぎ着けた。だが、翌日、強豪の花巻東との決勝。甲子園切符を懸けた決戦で佐々木は最後まで、マウンドに立たなかった。(引用元:JIJI.com)
あと1勝で甲子園出場をかけていた緊迫した試合でした。
國保陽平監督が大切に育ててきた佐々木朗希選手は、エースだったので誰もが、ここで佐々木選手を登板させると思っていたんですよね。
結局2対12で負けてしまい、甲子園出場はなりませんでした。
この時、めちゃくちゃ國保陽平監督に非難が集まったんですよね。
試合後のインタビューでこのように監督は答えています。
投げられる状態ではあったかもしれないが、私が判断した。(理由は)故障を防ぐためです
そう、これこそが國保陽平監督の指導方法だったんですよね。
佐々木朗希選手は、監督の判断に従うしかなかったですし、インタビューでもそのように言っていますが悔しそうだったのを今でも覚えています。
監督の判断なので、しようがないです。高校野球をやっていたら、試合に出たい。投げたい気持ちはありました
この時の試合を見ていた人も胸が苦しかったんじゃないでしょうか。
ただ、この判断がよかったのかわかりませんが、佐々木選手はメジャーへ挑戦するほどの選手になりましたよね。
では、そんな大船渡高校の野球部はどんなチームだったんでしょうか。
大船渡高校の野球部は一体どんなチームなの?
佐々木朗希選手が、大阪桐蔭を断って選んだ、大船渡高校がどんなチームなのかめちゃくちゃ気になりますね。
やはり当時から実力が注目されていた、佐々木朗希選手を中心にしたチームでした。
大船渡高校は、過去に2度甲子園に出場をしています。
1984年春に初出場を果たし、ベスト4に入っています。
このとき「大船渡旋風」と大注目を浴びたのですが、この年の夏の甲子園出場後、甲子園への出場は果たせていないのです。
もちろん当時3年生である佐々木朗希選手は、甲子園への出場経験はゼロです。
佐々木朗希選手が、いくら令和の怪物と言われても、成長痛に悩む高校生で、それを押してまで無理をさせると怪我をして一生を後悔する事にも繋がりかねないと、体のことをとても考える監督なのです。
スポーツ記者から見た、大船渡高校のベンチの様子が、とても興味深いので書いておきますね。
特に練習試合は選手たちの表情が実に穏やかだ。
監督が不機嫌なシーンはまず見ない。
2ストライクと追い込まれた打者に、監督が「みのさん(見逃し三振)、空振り(三振)、何でもOK!」とベンチから声をかけ、相手応援団も爆笑。
その直後に打者がヒットを打った。(引用元:日刊スポーツ)
チームのカラーって監督によって決まりますよね。
國保監督が一度も怒った事がないなんて、他のチームでは見かけた事がない事です。
高校野球は、怒号に耐え己を奮い立たせ、泥にまみれて走るんだ!
スポ根的なイメージがとても強いのですが、それは今も昔も私の中では印象が変わりません。
実際、そういうシーンなどをテレビなどで見てきたからかもしれませんね。
それが、大船渡高校に限っては真逆を行くのですよ。
野球だけじゃないですよ、会社とか学校とかで考えてみると、私は怒られると萎縮してしまって自分の力を遠慮して出せなくなるタイプなので、国保監督の目指すところが納得が行きます。
褒められて育つ子ってことですよ。
そして、自分を認識し尊重してもらえる喜びは、この上なく嬉しいんですよね。
心に負担をかけないというか、ストレスがないので、伸び伸びと自分の思うことを口にできるし、反対意見を持ったとしても言いやすい環境なんでしょう。
だから佐々木朗希選手が、大阪桐蔭高校からスカウトをされた時に、大船渡高校を選んだ意味がわかるような気がしました。
國保監督の元で野球を続けてきた子は、人間的に成長できる子に育ちそうですね。
きっと大人になったときに、めちゃくちゃ人間的に成長できそうです。
もちろん甲子園へ行くのが高校野球部の目的ですし、行きたいから頑張ってるんだろうけど、その前に大切なことを教えてくれる学校なんですね。
自分に子供がいたら野球部に入れたいかもです。
まとめ
- 國保陽平監督は、筑波大学で体育学を専攻し、卒業後、ティフアナ・シマロンズでプロ野球選手となる
- 退団後、地元岩手の県立花巻農業高校の野球部監督を経て、大船渡高校の野球部監督に就任する
- 指導方法がユニークで、投手だけでなく野手もマウンドにあげてしまう
- 佐々木朗希選手の体の事怪我のことを心配し、無理な負荷はかけない方針で、押せ押せムードの他校とは一味違う
國保陽平監督の指導方法は、一時、炎上にも近いほどの賛否を呈していましたが、選手の未来を思う監督の優しさや愛を感じますね。
こんな愛のある、実力もある監督に指導してもらえる生徒は幸せなんじゃないでしょうか。
佐々木朗希選手意外にも、今後、すごい選手が現れるではないでしょうか。
※現在は岩手県立盛岡第一高等学校野球部副部長をされています。