堺屋太一さん(83歳)が都内の病院で
2019年2月8日に死去されました。
数多くの作品を世に残した有名すぎる作家さん
でしたね。
死因は、多臓器不全ということです。
心よりご冥福をお祈りいたします。
彼の生い立ちや数々の作品をまとめました。
堺屋太一さんの生い立ちとは?
これほど世間に大きな影響をもった
作家さんも珍しいのではないでしょうか。
あまり本を読まない私でも読んだことがある
というほど、著名な方です。
どんな生い立ちで、どんな作品があったのか
振り返ってみたいと思います。
プロフィール
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- ペンネーム:堺屋 太一(さかいや たいち)
- 本名:池口 小太郎(いけぐち こたろう)
- 生年月日:1935年7月13日
- 出生地:日本・大阪府大阪市
- 本籍地:奈良市
- 出身校:東京大学経済学部卒業
- 称号:経済学士(東京大学・1960年) / 旭日大綬章(2012年)
- 職業:作家、評論家
- 奥様:洋画家の池口史子(ちかこ)さん
- 活動期間:1975年〜2019年
- 代表作:『油断!』(1975年)
『団塊の世代』(1976年)
『峠の群像』(1981年)
『知価革命』(1985年)
『平成三十年』(1997年)
デビュー作:『油断!』(1975年) - 内閣:第55-57代 経済企画庁長官(1998年7月30日 – 2000年12月5日)
受賞暦
- 1991年:第7回正論大賞受賞
- 1998年:「日本列島総不況」で新語・流行語大賞トップテン入賞
- 2000年:日本文化デザイン賞受賞
- 2012年:旭日大綬章
作家、評論家、元通産官僚、経済企画庁長官、
元内閣特別顧問でもありました。
株式会社堺屋太一事務所の代表取締役社長であり、
内閣官房参与や、様々な博覧会のプロデューサー
でもある多彩な方だったんですね。
奥様とも大変仲が良かったという事です。
[box class=”box23″]ペンネームの由来とは?
先祖の商人が安土桃山時代に堺から谷町に移住した際の名前の「堺屋太一」から採ったもの。[/box]
高校在学中はボクシング部に所属し、
モスキート級の大阪チャンピオンに
なったそうで、頭だけでなくスポーツ
にも長けていた方でした。
東京大学経済学部を卒業とプロフィール
にありますが、東京大学工学部建築学科に
在籍し、経済学部へは途中で転入をされて
います。
建築学科在学時代には、学内コンペでの
受賞経験もあるといから、どこまでも
才能の塊のような方です。
官僚時代の功績
官僚時代の活躍も目覚しくて、大きな功績として
1970年の大阪万博の企画・実施にかかわり、
大成功をされました。
[box class=”box8″]建築家の安藤忠雄さんの話
堺屋さんとは、大阪の花の万博(1990年)やセビリア万博(92年)でご一緒し、事務所やご自宅の設計もさせていただきました。
最大の功績はやはり70年の大阪万博でしょう。
30代の若さで、小松左京さんや丹下健三さん、東大や京大の先生がいるなかで強引かつ粘り強く引っ張っていった。
大阪万博には哲学があり、日本人に、後の携帯電話やドーム建築につながるような、新しい世界を見せたと思います。
それ以後の万博はほとんど成功していないのではないか。
引用元:朝日新聞[/box]
私たちの中でもこの記憶は今でも鮮明にインプット
されているのではないでしょうか。
私は当初を知らないのですが、万博公園にはよく
遊びに行っていましたので、大阪にとっては、
大きな経済効果をあげた一代イベントだった
のは間違いないです。
また、1975年~1976年の「沖縄海洋博」の
企画、実施にも参加されており、その数年後に
通産省を退任されました。
イベントプロデューサーとして
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- 1990年:花の万博のパビリオン総合プロデューサー
ダイコク電機「名画の庭」など世界の名画を転写して
焼成した陶版画を展示紹介しました。
※陶版画は現在「京都府立陶板名画の庭」に移築されています。
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[center]花の万博[/center]
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- 1992年:セビリア万博の日本館総合プロデューサー
日本館内で安土城天守閣の最上部(5~6階)の
原寸復元をメイン展示として紹介しました。
※現在は「安土城天主信長の館」内に移築されています。
- 2010年:上海国際博覧会の準備室高級顧問
- 2014年:2025年万国博覧会の大阪招致構想
[center][/center]※画像は1970年の大阪万博
2025年の大阪万博は残念ながら見ることが出来なくなって
しいましたね・・・。
作家作品
よくおじ様たちが、団塊の世代って言うのを
聞きませんか?
この言葉は造語になるのですが、堺屋太一さんが
書いた小説の題名なんです。
[box class=”box23″]団塊の世代【だんかいのせだい】とは?
1947年−1949年に生まれた世代をいう。
堺屋太一の小説の題名《団塊の世代》(1976年)が定着したもの。
第2次大戦後のベビーブーム時代に生まれた世代で,約689万人を数える。
1960年代後半にはこの世代を中心とする大学闘争が起こり,のち全共闘世代とも称された。
2007年以降,この世代は60歳の定年を迎えて一斉に退職することになり,技術技能の継承の問題やオフィス需要の減少のほか,貯蓄・消費の変化や財政・税収等への影響が想定されている。
財務省の財務総合政策研究所は2010年度の国内総生産(GDP)が最大16兆円減少すると試算している。
一方この世代が退職後に趣味や旅行にお金を費やし景気に好影響を及ぼすとする説もある。
これらは「2007年問題」とよばれ議論されている。
なお団塊世代の子供を団塊ジュニアとよぶ。引用元:株式会社平凡社[/box]
歴史小説にも定評がありました。
大河ドラマの原作となった作品も
多くあり、テレビを見たという人も
多いと思います。
経済より歴史の小説のファンも多いんです。
- 「巨いなる企て」(毎日新聞社1980年)のち文春文庫
- 「峠の群像」(日本放送出版協会1981-1982年)のち文春文庫
忠臣蔵の話で1982年のNHK大河ドラマ「峠の群像」の原作となりました。 - 「豊臣秀長 ある補佐役の生涯」(PHP研究所1985年)のち文庫、文春文庫
- 「鬼と人と~信長と光秀~」「秀吉 夢を超えた男」は(PHP研究所1989年)
1996年のNHK大河ドラマ「秀吉」の原作となりました。
数え切れないほどの作品がありますね。
朝まで生テレビのパネリストで出演されて
いた印象が強くて、気になって本屋で
手に取ったことが何度かありました。
政治経済に詳しく、色んな意味で
影響のあった方でしたね。
堺屋さんは、大阪市に在住ということで
元橋本知事との出会いのことを話している
動画がありました。
面白いのでぜひ聞いてみてください。
葬儀、告別式はいつ?
顔の広い方だったので、沢山の幅広い著名人
の方などが訪問されることと思います。
告別式日程
葬儀・告別式:2月17日(日)午後1時
場所:青山葬儀所(東京都港区南青山2-33-20)
心よりご冥福をお祈りいたします。
まとめ
- ペンネーム:堺屋 太一(さかいや たいち)
- 本名:池口 小太郎(いけぐち こたろう)
- 生年月日:1935年7月13日
- 出生地:日本・大阪府大阪市
- 死因:多機能不全
- 経済、歴史の小説を数多く出版
- イベントプロデューサーとしての活躍も多い
- 葬儀、告別式は2月17日13時から青山葬儀所
多岐にわたる活躍をされていた方なので
それぞれ堺屋太一といえば・・・
と思うところはあると思います。
私は、堺屋太一といえば、万博でしょうか。
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