なんと芸歴54年だった坂田利夫さん。
近年の芸風は知っていても、若い頃の記憶はない方も多いのではないでしょうか。
実は関西に住んでいた頃、よくアホの坂田の横歩きやっていました(笑)
若い頃はどんな芸人だったのでしょうか。
若い頃はどんな顔だったんでしょう、それも気になります。
若い頃は漫才をメインに活動されていました。
詳細を見ていきましょう!
1967年に漫才コンビを結成しました。
坂田利夫さんが25~6歳頃です。
コンビ名は「コメディNo.1」としました。
相方は前田五郎さん。
コンビ結成をする前は芸人ではなく役者志望だったんですよ。
役者と言っても喜劇役者です!
1961年に吉本新喜劇の研究生に応募し、花菱アチャコから「あの子はなんか持ってる子」と後押しを受けて吉本入り。大村崑(92)に憧れたのが芸人を目指すきっかけで、毎日放送のドラマ「番頭はんと丁稚どん」も欠かさず見ていたという。
引用元:yahoonews
コンビ結成する前の一番のきっかけは吉本新喜劇に入るための研究生に応募したことが始まりなんです。
その頃から光るものを持っていたんでしょうね。
しかも西川きよしさんに「漫才は儲かる」と言われたのが芸人になることを後押したというから、面白いですね。
漫才って儲かるんですね!
お金設けて親孝行をしたい
と思っていたとインタビューで答えてました。
吉本興業入社は1964年ですが、コンビ結成は1967年なのです。
わずかその3年後には賞を総なめしています。
花菱アチャコさんは、大正・昭和期の漫才師です!
めっちゃ賞を総なめしています。
新人賞受賞から始まり上方のお笑いを制覇しています。
すごい!
- 1970年:第5回 上方漫才大賞(ラジオ大阪) 新人賞受賞
- 1971年:昭和45年度 第1回 NHK上方漫才コンテスト 最優秀話術賞受賞
- 1972年:第1回 上方お笑い大賞(読売テレビ)金賞受賞
- 1979年:第14回 上方漫才大賞(ラジオ大阪)大賞受賞
しかも、坂田利夫さんはレコードも発売しているんです。
「アホの坂田」というタイトルですが、後にこの曲は自分の登場シーンのテーマ曲になっていました。
なんとなく歌をどこかで覚えているような気がします!
アホっアホっアホの坂田♪
関西圏の方はご存知の方も多いのではないでしょうか。
2009年に相方の前田五郎さんが、吉本興業とトラブってしまい、無期限活動休止の処分がくだされました。
コンビ解散にまで追い込まれてしまったんですね。
前田五郎さんが、中田カウスに脅迫状を送り付けた犯人であると疑惑を向けられたことが発端なんです。
そういえばこんな事件があったような記憶が・・・
中田カウスさんが殴打されたあとに、脅迫状が届くという恐ろしい事件です。
吉本興業の独自のルートの筆跡鑑定がちょっと怖いのですが、筆跡が前田五郎さんのものと断定されるでもなく疑惑のまま、無期限活動休止、いわゆるクビですね。
その時に坂田利夫さんは、コンビ解散となり、一人で頑張ると決意したそうです。
コンビ歴42年ですよ。
そこから13年間ピンで活躍をされているんですね。
芸人だけでなく役者として映画に出演などもされていました。
後年は映画出演も多数ですね!
- あ、よいとせのこらせのよいとせのこらせ
- あ〜りが〜とさ〜ん
- いえす、あいどぅー
- ジョンジョロリ〜ン、ジョンジョロリ〜ン、ジョンジョロリンの、ぱっぱ
- アホアホミサイル発射!アホアホアホアホ…
海外で活躍なんてカッコイイ!
若い頃からと変わらないと思いませんか。
もちろん、年齢を重ねていれば肌の艶やシワなどが増えますが、若い頃からなんとなく変わらない印象をもってしまうんですよね。
ずっとアホの坂田でいるからですかね!
あまり変わらなかったので、驚きつつすごいと言うのが感想です。
坂田利夫さんのご冥福をお祈りします。
坂田利夫さんの若い頃の芸は漫才で賞を総なめするほどの売れっ子だった。
漫才コンビ「コメディNo.1」を結成して42年間活躍の後、コンビ解散しピン芸人としてお笑い、映画などに出演された。
アホの坂田が大ブレイクネタとして定着し、若い人でも知っているようなマルチな芸人さんだった。
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